【つれづれ俺なるままに】12
(97.11.25)
デジタルかアナログか?


〜相反するものへの共感〜

(僕の好きな2冊の本)


つれづれ俺なるままに。

僕の好きな本が2冊ある。
でもこの2冊の本には「相反」する部分があるんだよね。で、僕はどちらにも共鳴を憶えてしまうのである。一体俺はなんなのかいな?


まず1冊目の御紹介。

あのデジタル・詐欺師(笑)、高城剛の書いた「デジタル日本人」(講談社)1500円である。高城氏に関して、僕の周りの人間はあまり良い印象を持つ人がいない。
「たかしろ?あー、マルチメディアと口車でオヤジ達をだまくらかして馬鹿儲けしてる奴ね」・・・こんな印象が多い。
確かにね。「上手いことやりやがって」とは僕も思う。でもそれは「自分には出来ない」というやっかみではないかとも思うし、僕は高城氏のテイストが全て好きなのではないが、


彼の生き方自体には共鳴と憧れを持つ。
彼はいわゆるクリエーターでもないし、ましてや芸術家でもない。
それは彼が創り出す作品を見れば感じることだ。特に個性的で「がーん」と来るものはない。なんとなくPOPで、見やすくて、サブカルが好きを少し匂わし、それでいて大衆的である。作品を取り出してなんやかんや言いたくなるものはない。
彼が昔創ったCXの深夜ドラマも「なんとなく面白い」が、「すごいもの創りやがった」とは思えなかったし、一番つまらないのが「フランキーオンライン」という彼のネットだ。いまハリウッドで映画を創っているらしいが、どうなることか。
彼の魅力は「ライフスタイルの創造」である。
彼がクリエートしているのは映画でもなければCD・ROMでもないしネットでもない。
勿論、表面的にはそれらを創ってはいるが、僕が彼に引き付けられるのは、その方法論である。彼は「何かを創りたくてしょうがない」のではなく「こうやって創ることが出来る」という発見が面白くてしょうがない人なのだと思う。

「ライフ・クリエーター」と呼ぶのが彼にふさわしい。
この本の一つの命題は「デジタルとは技術ではなく『生き方』である」ということである。どういうことかというと、物心ついた時から身の回りのデジタルな製品(一番最初の変化は『テレビがチャンネルからボタンに変わった時』であると彼はいう)がある環境で育った世代が、すでにそれ以前の世代と「思考の仕方」が変化し、ゆえに「生き方自体」も変化しているという。
それはしごく当然とも思える。デジタル時代を生きる子供たちは「好きなものを選択する」場合、「瞬時に」そこに行く。テレビで言えば「日テレからCXに移る」時に間の「TBS」を抜かして瞬時に「移動」出来るというわけだ。
アナログ世代は、その「過程」を抜かせないし、それを重要視する傾向もある。
例えば「なりたい職業につくためには嫌な勉強もやって大学を出て、それからなりななさい」なんていう考えはアナログ世代特有ものものと言える。

「デジタルな生き方」とは簡単に言えば「好きなものだけ瞬時に手に入れる」生き方と言えるだろう。
僕は31歳。ちょうどアナログとデジタルの両方を知っている世代と言えるかもしれない。そんな僕はデジタルに大変共感する反面、それだけでホントに楽しいのかな?と思ってしまうタイプでもあるし、その辺は後述するもう一冊の本に共感し、そこで述べることにしよう。
で、高城氏は更にデジタルが進むことは「時間」と「場所」からの「解放」であると主張する。確かにそうだろう。ネットのおかげで僕は自宅にいながら色んな場所の人達とコミュニケーションが取れるし、それも自分の好きな時間に出来るわけだ。
僕が高城氏の言う「未来の日本人」で面白いと思ったのが、
「デジタルによる大移動時代の到来」という考えだ。
これは最近雑誌などでも騒がれているモバイルパソコン、更には携帯電話が「働く場所を限定しない」という考えに基づく。高城氏の面白いのは、それだけでなく若者は無意識のウチに「移動したがっている」ともいう。
「スニーカー」「たまごっち」「アウトドアテイストの時計」「ポケベル」「プリクラ」など、若者が興味を示すものは全て「移動しながら」楽しむものが多い。

パソコンによる「在宅勤務」も騒がれているが、高城氏は「違う」という。
「在宅勤務」はアメリカの大きな住宅に住むビジネスマンの発想を、そのまま受け売りにした日本のビジネス界がさわいでいるだけで、住宅が狭い日本の環境ではそれが出来ない。


つまり日本人は「移動」しながら「勤務」するしかない。というのだ。
アメリカには「郊外」というものがあり、ビジネスの疲れを癒す「豊富な自然環境」が身近にある。しかし日本には「都会」と「田舎」しかない。「田舎」は自然が豊富で気持ち良いが、情報が少なすぎて「都会の仕事」が出来ない。
かといって、僕なんかそれで藤沢に引っ越したのだが、都会のコンクリートと人混みの中を毎日ラッシュで通うのは、もううんざりだ。
そこで、モバイルや携帯電話を使うことにより例えば週の半分は自然の豊富な所で(例えば山の中に簡単な自分の山小屋等を創って)そこで仕事をする。
当然、人と会わないと出来ないことがあるので、その時には都会で仕事。

必要と自分のコンディションによって様々な場所を「移動」するのがこれからの日本人であると高城氏は言うのである。
まあ、まだ「そうは行かない」と思う人が多いだろうし、職業によってはまだまだ難しい。フリーで仕事をしている人間じゃないと難しい面がたくさんある。
しかし都会の大企業だって、無駄にオフィスの場所を取り、そこ賃貸料を払うよりは、社員の半分は「外にいる」というような形態が、コスト的にもまた商業的にも理想になる日が来るような気がする。

高城氏は「移動量とアイデアは比例する」と言っている。
毎日同じオフィスに通って同じ顔と付き合わせながら仕事するよりも、自由に動いて様々な刺激を得ることによって頭は活性化し、ビジネス的なチャンスやアイデアも以前より浮かぶであろうということは想像できる。

人間そのものが活性化するのだ。
僕は、よく「旅行」に出かけると普段考えもしないようなことを深く考えてしまったり、「自分」について思ってみたりする。また「普段と違う視点で自分を考える」ことが出来る。「移動」によって様々な場所にいるということは「自分を持たない」ことではなく、どんなに「移動」しても残る「本質的な自分」に出逢うことでもあり、日常的な変化の無い場所では気付かなかった「新しい自分」を発見することにも繋がる。
そういった意味で、僕は高城氏の「大移動時代」には興味を持つのだ。
そして彼がしきりに言う「未来を愛する心」または「未来を想う気持ち」というものにも共感する。
実は彼は表面には出さないが、非常にサイキックなものやスピリチュアルなものへの共感が強く(ただ「精神世界お宅」は嫌いだと言っていたが)本人もかなりそのへんの感受性が高い。彼はモバイルを持って仕事をこなしつつ、ナイキを履き、HIP HOPを聞きながら、チベットの山奥にも行き、日本の神社で「気持ちのクリーンアップ」もするという(この手の話は普段言わないが、フィリという精神世界系の雑誌で語っていた)。つまり彼は「自分のビジョンを他人に頼らず具現化する」という、ある意味でスピリチュアルな人間でもあると僕は思う。
組織や指導者に頼らず自分で自分を生きることを体現している人。
んなことで、色々とやっかみも批判も受ける高城氏ですが、僕なんかかなり共感というか、面白い人だなあと思うわけです。
長くなりましたが(笑)、次。
もう1冊の僕の好きな本。
「足立育朗と語る〜現代地球文化の未来とわたしたち」森真由美(PHP研究所)1429円。
これはね、解りやすく(世間的に)言うと、いわゆる「波動関係」の人です。「脳内革命」や「エヴァの時代」とか船井研究所と深い繋がりがある人。これでもう嫌悪感もっちゃう人もいるのはわかります(笑)。言ってることが「道徳」的な印象を受けるからかね。「エヴァ」とうのは「エゴ」の先に来る時代ということ。今はまだ「エゴ」の時代。

「エゴ」って「自我」って意味なんだけど、「エヴァ」は「自我」の悪い部分(全てが悪いと言うわけじゃない)を卒業して「互恵の時代」に入るということらしいです。ここで難しいのは決して「全体主義」になろうと言ってるんじゃないってこと。
「全体主義」っていうのは「中心なる権力」があって、そこに皆が「自分を殺して盲従」するってことだけど、それとは言ってることは違うんだよね。でも誤解されやすい。
ここは団体を創ろうとするし、周りに集まる人々に問題がないか?と言えば、僕も「うーん」と言わざるを得ないところもある。でも本人達が言ってる内容にはとても共感する部分が多いので、僕は「やみくもな否定」はしないし、むしろ色々参考にさせてもらっています。


で、この本は対談形式で、足立育朗っていう人は元々建築家(今でもそうですが)いわゆる「宇宙の情報」が自分に入って来てしまって、それを元に本を書いたり「これからの建築」を行っている人でです。
「あ、電波系ね」といって立ち入らない人が多いのはとっても良く解りますが、僕個人は(もちろん証明など出来ませんが)言っていることそのものに何か無視できないものを感じるし、この手の本は「情報がどこから来ているかよりも情報そのものに自分が何か感じるか?」がポイントで更に
「盲信せず自分で租借する」ことが大事だと思っています。
今の科学で証明出来ないことは全て「非現実」と見なして排除するという考え方の方が僕はとても「非科学的」だと思う方です。あまり「自由な思考」ではないですよね。もちろん「排除」するのも「自由」だとも思いますが。
で、内容ですが、様々な事柄が書いてあるので、ここでは上で書いた「デジタル日本人」との関係について書こうと思います。
足立さんが「全ては波動で出来ている」というのは別に「非科学的」なことではなくて「分子、原子、更には陽子、中性子が振動して物質になっている」というのはなんとなく感覚でも解ります。「水」という物質の分子が振動によって「氷」になったり「液体」になったり「水蒸気」になるのを見れば解ることです。
人間の思考も波動であるというのが足立さんの考えです。
例えば「なんとなくこの人とは波長が合う」とか「合わない」とか普段言うよね。「気が合うよねー」とか無意識で使っていますが、それと一緒です。
で、「エゴ」という波動は「全てを分割していく波動」だというのです。
「繋げていく」のではなく「分けていく」波動。
現代科学(西洋科学といってもいいですね)は「分析して細かくして、その正体をつきとめる」ことで成り立ってきたよね。「分割」の歴史。アメリカのの個人主義なんていうのも無関係ではないと思う。必ずしも悪い面だけじゃないとは思うけど。
僕は、日本は良い意味での個人主義が足りないと思うし。
「デジタル」っていうのは、その最先端でもあるというわけです。
「全てを『0』と『1』に分割して再構成する」のがデジタルであるとするならば、確かにそうかもしれない。で、この波動というのが「自然(または地球)の法則」もしくは「宇宙的法則」からすると、かなり「危険」だというわけ。
携帯電話が普及し、今、都会では「見えない電波」がそこらじゅうに飛び交っているのは誰しも認めるところでしょうが、その波動が「デジタル」であることが人間にとても良くないし、更には
人間どころか「植物」「鉱物」大きく言えば「地球」に対してよろしくないというわけ。
「携帯電話を使いすぎると脳波によくない」なんていう話題が出たこともありますが、僕個人的に、何かデジタルなものに囲まれていると「気持ちが悪くなる」という体験が最近多くなりました。

パーフェクTVという衛生テレビの番組を編集するために窓もなく、マック一台がある部屋の中で一日中作業し、またそこで寝起きする生活をしていたことがあったのですが、全然疲れが落ちないんです。他の場所ではそうでもないのだけど、そこは電気とコンピューターしかない部屋で、なんだか身体がだるくて気持ち悪くなる。


えっと、これは足立さんが宇宙から受けた情報ですので、確証はありませんが、
「パソコンに入っているICが脳細胞を歪めてしまう振動波を出していて、特に陽子を歪めてしまう」のだそうです。
陽子というのは足立さんに言わせると「愛」であり「意志」を受け持つパートだそうです。そこが歪むと「やる気」などが失せていくなどということが有り得ると彼はいいます。今ある電化製品の8割のICからは、そういった振動波が出ているとのこと。10年もパソコンのプログラマーをしている人は、なったばかりの人に較べると歪みの違いがはっきりしているらしい。足立さんはそのような波動を計る装置も持っているので(一般科学ではまだ認めてられないとは思うが)そのようなことを言うわけです。
僕が東京のマック編集室で感じた「倦怠感」は一体なんだったのか?
足立さんに言っていることと関係があるかどうかは定かではない。
今、こうしてマックに向かっている分には平気なのはどうしてかとも考えるが、なんとなく思うのは、僕の家の周りには「自然」が多く(裏の竹林はすごい)そこから出ている波動が中和しているのではないかと勝手に考えている。
もちろん誰に強制されずに好きな時間で好きなことを打ち込むのは苦痛が少ないとも思うのだけれど。

足立さんのいう「本来の波動」とは「アナログ」だというんですよ。
自然界は全てアナログの波動で出来上がっているというのです。「海の波」は誰でも解る通り「波」ですが「どこまでも繋がっている」のが「自然の波動」。
「デジタル」はそれを「分割」してしまうことに問題があるというのです。
もちろん「人間の創り出した電子機器や文明」も自然の一部ですが、
「デジタル」ばかりで地球を覆い尽くそうとしている今の人間社会は、地球の波動に即していないということらしいのです。
地球そのものが「アナログ」で出来ている以上、人間の片寄った「デジタル」が続けば「自身がアナログな存在である人間」そのものが大変な状況になり、地球との共存が難しくなるというのです。いま流行りのアトピーとか小児性の病気の原因がそこから来ていると足立さんは言います。
まあ「地球と共存出来なくても、人間が便利なら関係無いじゃん!」となれればいいですが、どこまでいっても僕らは地球なしでは生きていけないし、「水」とか「空気」とか「食べ物」とか「アナログ」な存在が無くなれば死んでしまいます。

人間そのものが「アナログ」だから。
かといって「デジタル」は人間に対して大いに貢献しているし、高城氏が言うようにこれからの人間生活を、より解放し豊かにする道具になっていく気もするし、ましてやこの流れを止めることは難しいでしょう。
この「相反する僕の中の共感」は、なかなか解決を見られないのですが、僕の中では
「自分なりの『デジ・アナ』バランスを取る」そして「デジタル」はもっと人間に「アナログ」な喜びをもたらすために進化するべきだと思う。
僕は「海と山があり、裏には畑もあり、動物もたくさんいて、ログハウスのような気持ちの良い家に住み、尚且つデジタル機器が整っていて、世界中と交信しつつ居ながらにしてクリエイティブな仕事をしつつ、自分で植えた野菜を食べる」という訳のわかんない(笑)生活を夢見ているのでございます。
【今夜のBGM】「FEMININA」joyce
ブラジルの歌姫ジョイス。和めてさわやかなボサ&サンバ。
マックに向かいっきりで「デジタル光線」(笑)を身体にいっぱい浴びた時には、ジョイスの自然光が降り注いで来るような「アナログ」な歌声でバランスとってます(笑)。
what's DAI?の目次に戻る?MENUに戻る?
mailはこのコウモリが運んでくれます!