
(97.7.27)
8月いっぱいまでのロングバケーション。寝てばかりもさすがに飽きて、湘南の海に初めて行き、焼きすぎてひりひりする身体を冷ましながら、夜は自宅で久し振りの読書。無目的に読む読書は、ついついのめり込んでしまうのであった。読書の夏・・・・・・。
「松田優作・炎 静かに」山口猛(立風書房)1400円キネマ殉報などにも書いている映画ライターの山口氏が松田優作に出逢って、別れて(優作が死ぬまで)いくまでを綴った手記。様々な優作関係者の証言から、今は亡き優作氏の強烈な生き方が浮き彫りになる。こんなに本気で生きていた映画人が最近まで日本にいたことに感銘を受けると共に、映画はつまらなくても優作氏が出てくるだけでその画面が、良い意味での緊張感につつまれる意味がわかる。彼に映画がなかったら発狂していたかもしれない。努力のひとではあるが、あきらかに「業」を背負ってきた人でもある。表現せざるを得ない人。北野武もそういった意味では同じタイプじゃないだろうか?「ブラック・レイン」を撮影していたころ、優作が「最近、黒澤明のことを尊敬しているんだ」と作者にこぼしていたところを読み、なんだか泣けてきた。ああ、もっと生きていたら、どんなにか素晴らしい作品に出逢っていただろう。
「コックサッカーブルース」村上龍(集英社文庫)680円
1991年の作品。JR秋葉原駅ホームの古本売り場で350円で購入。実はこれが初めての村上龍。なんか映画とか撮ってるの見て「たいしたことないんじゃないの?」なんてタカをくくっていたのだが、この作品はマジで面白かった。村上さんは難解な作家じゃないんだね。この作品に限っていうと。エンターテイメントとして面白い。尚且つ「新しい時代の意識」っていうのを龍さんなりに良く考えていて一気に読ませてくれました。この下に出てくる「ファンダメンタルな二人」で中沢新一さんも言ってるけど「SM版ナウシカ」、つまり「少女の直感力による現代の救済」物語になってる。
ニューエイジでも言われている「男性原理社会から女性原理社会への変化」が来世紀の主流とするならば、社会の変革が「SM少女」から行われて行くという龍さんの直感はとても興味深い。「SM」というのは「感情の極限」に放り込まれて「自我が崩壊」し、ある種の解放に向かうという点では一種の「自己改革体験セミナー」に近いのかもしれない。みんな溜まってるんですね。
一つ気になったのは日本の神経症治療のくだりが出てきて、明らかに「森田療法(昭和初期からある禅に近い方法を用いた療法)」をモデルにした場所が出てくるのだけれども、あれは本だけの知識で、龍さんちゃんと取材してないね。なんでって僕は高校生のころ、対人恐怖で森田療法を行っている鈴木知準診療所で体験したから。神経症って他人からみてもほとんどわからないんだよね。ただ本人が内的な心理葛藤しているだけで。精神病ではありません。正確には。入院してる人達はまるで禅寺の坊主ように一日中動いていて、とても緊張感のある空間です。ま、そうでない話し合いだけの森田療法もあるみたいだけど、僕が思うにはホントの森田療法ではないのではないかと思います。って村上龍の話だけど、「人間の意識」が重要なテーマとなっている作品なのだから「森田療法」はもっと勉強してから扱って欲しかったなあ。
それと、多分龍さんのテーマでもある「日本の内閉的社会への嫌悪」という部分にも非常に共感を持ちます。でも変わって来ているような気もする。若い世代から。出てくるN.Y.を拠点に置く天才音楽家ってモロ坂本龍一さんですね。モデルは。
「ファンダメンタルな二人」山田詠美+中沢新一(文春文庫)450円痛快な対談集。19892月〜1991年11月の「クレア」で連載されていたものの単行本。僕は一度取材で中沢さんにお会いしたことがあるのですが、とてもチベットで修行してきた人には見えない都会的な紳士(ユーモアを持った)でした。中沢さんのすごいところは森羅万象(俗世界から神秘主義まで)を並列に語れる度量の広さです。これは彼が語るところの仏教の本質「宇宙すべてに関して受け身になる」ということから来るものではないか?と僕は思っているのですが。これは「うなずきたくないことにでもうなずいてしまう」という盲従とは違って「嫌なものを嫌なものとして認める」ということではないかな。「嫌いなものを好きになろう」というのは受け身ではなく能動。話題は「村上龍」「オウム真理教」「ユーミン」「ゲイ」「結婚」「テレビ」「次郎物語」「松田聖子」「ちびまる子」「幸福の科学」「荻野アンナ」とバラバラ。ちなみに村上龍は「文壇界のおぼっちゃま君」としてののしられて、これを読んだ村上龍が怒ったらしいのですが上記の「コックサッカーブルース」に関しては二人とも褒めていました。良かった話は「最近の宗教は正しいこと言ってるかもしれないけれど、『正しいだけ』じゃだめなんだ。ダンディズムや美学がないと」というくだり。誰も「道徳」や「思想」では感動しないと思う。少なくとも僕は。ましてや「正しい」ことを押しつけられたりしちゃ苦しくて仕方がない。その人の「生きざま」が人を自然に動かしていくのだと思う。動かすとすればね。「倫理とか人の道というのは、個人の外側の組織とか幻想体がつくってくれるものじゃなくて、自分でファンダメンタルをつくっていくしかなくなるでしょう。ぼくはそういうものしか今後残らなくなると思うよ」。僕もそんな気がします中沢さん。
「宇宙人の魂をもつ人々」スコット・マンデルカー(徳間書店)1600円
荒俣宏も絶賛というこの本。この手の本が徳間書店から出るような時代になってきたんですね。僕はもう以前から(最初は大学時代に横尾忠則さんの発言からの影響)宇宙人というものにSF以上の興味があり、ニューエイジにはまってから「新しい意識への変化」と「宇宙人」との関係の書籍をかなり読みあさって来た。いわゆるチャンリングというものの現場に立ち会ったこともあるし、別に真偽を確かめることは出来ないが、あってもおかしくないと思っている。大事なのはメッセージの内容と「自分で判断」することだ。宇宙人が絶対的に正しいわけではない。ただ聞いてみる価値はあると思う。
で、この本に書いてある「宇宙人」は「チャネリング」で降りてくるのではなく、すでに地球人として生きている人達の中に「地球生まれでない魂」を持った人々が、この世紀末、本人の意識してるしてないにかかわらず、たくさんいるのではないか?という興味がない人は仰天するような内容のものです。なんで現在多いのかというと、今後、地球自体が大きな転換期をむかえつつあり、その手助けをしにきているというもの。キーワードは「意識の(価値観)の転換」。信じる信じないは各人の自由として、なんだか面白いのは「宇宙人」の考えは、いわゆる「禅匠」の言ってることと非常に似通っていること。また「宇宙人の魂」を持って生まれた人の共通点が「どうしても感じてしまう社会と自分の違和感」。またはその「違和感」との「融合」を目指していること。最終的には「個」という観念から「全一」というところに抜けていくことだと思うのですが。で、僕が思うに「全一」に至っても「個」は残ります。何故なら「個」と「全一」は同じモノだから。対立しているなかに解決はない。「対立したままで融合する」。なんて訳わかん無いこと言ってますが「禅」ではそんなようなこと言ってます。
で「宇宙人の魂」に気付いてしまった人達へのインタビューがたくさん載ってるのですが、いいなあと思うのは、ほとんどの人達が「自分が宇宙人であるということは重要なことではない」と言っている点です。「宇宙人だから偉い」わけでもないし、同じくこの地球で成長し、より豊かになろうとしているだけなのですから。結局、各人、各宇宙人も、生きざまですよね。生きる質の問題。
【今夜のBGM】「ministry of sound sessions 5」masters at work
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