【review・5】


もののけ姫・2
(生きる?)(97.7.23)


やっと落ち着いたので感想のまとめを書こうと思う。

正直、見たばかりの後の精神状態は「混乱の中にも浄化」されたような気持ちもあったが、それよりなにより「ここまで真剣に真っ直ぐ社会」のことを思える宮崎氏の生き方が作品を通じて押し寄せてきて


「お前ら、ちゃんと生きようしてるのか?生きろ!!」
という叱咤激励が聞こえて来そうでした。テレビの仕事に自分の価値観を見つけられなくて「喫茶店でも創ろうか?」なんていう「モラトリアムな自分」を突きつけられて、なんとも胸が苦しくなりました。「一体、俺は何をしたらいいのだろう?」
雑誌「H」7月号に載っていた宮崎氏のインタビューにこんな文章が載っていました。
「長生きするには薄暗い部屋に何もしないでボーッと横たわっているのがいいんだって。それで80歳、90歳ってわけわかんなくなって生きてるからそれでいいのかって考えると、生きるっていうのはちょっと違うんじゃないかと思って。楽して生きるのはいいけど苦しいために生きるのは嫌だとか色んな意見があるかもしれないけども、生きたっていう人って大抵ものすごく苦しんだ人だからね。これは難しいんですよ。(中略)めんどくさいことやって生きてる時がやっぱり生きてた時なんですよ」もちろんこの意見には異論もあるだろうし、今の若い世代の成功者(特に音楽系)を見れば「好きなことやってるだけ」という人が多い。その中に素晴らしい作品を創っている人もたくさんいる。でも宮崎氏の作品ほど「魂を揺さぶられる」ものにはお目にかからないのも事実だ。僕の場合。
結局、今「生きてるってことの希薄さ」が問題なんじゃないだろうか?
僕の場合、なにか「生きる充実感」というものが失ってしまって久しい。テレビ番組制作も好きな企画が出来るようにはなったが「なにかしっくり来ない」。この「しっくり来ない」正体は未だ不明だ。「そんなこと気にせずに一生懸命やりつづける」のも一つの方法である。「がむしゃら」が得意な僕はそれで仕事を続けてきたが、その「がむしゃら」が「行き詰まり」の原因であるような気もするのだが・・・・。 「生きることの充実感」に向かうこと。これは決して「社会的成功」や「経済的成功」が目的になるものではない。勿論、結果としてそれが付いてきても、それらとは本質的に関係を持たないものだと思う。何故ならそれは「自分の外側に由来」し、いづれ「変化」していくものだからだ。
「もののけ姫」の劇場には平日にもかかわらずお客の行列が出来ていた。
親子づれは勿論、茶髪のコギャルやズボンをずり降ろしたのヤンキー達も大勢見に来ていた。街の中で大声を上げてふざけあい、一番元気に見える彼等も、この作品に何か惹かれたのだろうか?何を感じたのだろう?また明日も同じように生きていくのだろうか?そして僕は・・・・・・?宮崎氏は言う。「種族としての人間ってのは絶望かもしれないけれど、その中でも、少しでも『俺は生きたぞ』っていう気持ちを誰しも本当は持ちたいんじゃないですか?」
「もののけ姫」(1997年・スタジオジブリ)監督&脚本:宮崎駿、音楽:久石譲、作画監督:安藤雅司、美術:山本ニ三、声の出演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上条恒彦、島本須美、渡辺哲、佐藤充、名古屋章、美輪明宏、森光子、森繁久や、他たくさんの人達。
DAI'S MOVIE目次をまた見ますか?
MENUに戻る?
mailはこのコウモリが運んでくれます!