対人恐怖症。
そして禅(森田療法)との出逢い(後編)


(不安と一つになっちゃう)


中野富士見町にあるその診療所は、都内の中にあるにもかかわらず大きな垣根 に囲まれて木々が生い茂り静寂した雰囲気があった。 通された診察室には60才くらいの何か動きの早い初老の医者らしき人物がいた (実際はこの時、彼は70才を越えていた)。
鈴木知準。

僕の恩師と会った最初の印象は”がさつな人”という感じしかなかっ た。


「ああ、君。棟方君?まだ小さいねえ(若いという意味)。どんな感じなの?」
ぶっきらぼうに切り出した医者に対して俺は嫌な感じを受けた。筑波大の精神科 の医者のような知的な感じや柔らかさがない。
「いや、あの、人と居ると緊張しちゃって、自分の視線が他人に嫌な感じを・・」
「ああ、そういう人、ウチにはいっぱいいますよ!これは手品のように治りはし ないから。時間かかります。これは君という人間そのものの現れだからね。」
人の話しを半分聞くか聞かないかのうちに、またぶっきらぼうに言い放った。 俺がまた、毎日がいかに苦しいかを訴えようとすると、それをさえぎるように、

「それはそれでいいから。うちに来て一つやってみなさい」


それはそれでいいって・・・。俺はそれで良くないからここに来たんじゃないか。

なにか騙されたような感じで診療所をあとにした。しかし、まだこの時俺にとっ ての人生の転機がここで起ころうとはまだ夢にも思わなかったのである。
診療所では基本的に入院治療しかしないという。話しだけではどうしてもダメ だからとのこと。俺は学校の夏休みを利用して一カ月の入院を希望した。 ホントは4カ月位が一番いいらしいのだが、学校の都合もあるということで承諾 してもらった。
「まあ、君はまだ若いからなんとか成るかも知れないね!」 笑いながら軽く言い放った。
「また軽く言いやがって・・・」そう思っても、もうここに一カ月はいなくては ならないのだ。とりあえずやってみるか。

最初に6畳くらいの小部屋に連れてこられた。


「ここで1週間、黙って気晴らしをすることなく寝ていなさい。食事は看護婦が 運びます」


全く訳がわからない。これが治療なのか?
「お母さんは、彼が退院するまでは一切診療所に連絡をしないで下さい。それ ではもう帰っていいですよ」母親は心配そうに、でも任せるしかないという表情 で玄関から出て行った。

「臥じゅく」と呼ばれるこの「寝たきり療法」に、最初は退屈してしょうがなか った。しかし本も読めずテレビは勿論ラジオも聞けず、聞こえてくるのは外で院 生が作業(院内のそうじ等)している音だけ。ただ天井の模様を見つめるだけし かなかった。(禅寺の永平寺でも、入ったばかりの坊さんにやってるらしい。
この療法は、森田という医者自身が神経症にになり、自ら克服した体験を元にして 出来た精神療法だが、結果的に禅寺のやり方に近づいたのである。)


2、3日経つにつれて俺はここに寝ていることがいたたまれなくなってき た。


夜になると別の院生が俺の部屋に来てすぐ隣に寝る。対人恐怖の俺は話しか けることも出来ず、緊張しっぱなし。その院生も特に俺に話しかけてくる訳でも なく早朝になるとそそくさと作業に出かけていく。
「彼も対人恐怖なのかもしれない」そう思うとよけいにいたたまれない。

緊張とストレスが溜まってきた。身体中が敏感になり、部屋の外の廊下を誰かが 歩くだけでもビクッとくる。まるで皮膚全体が神経になったようだ。


俺は「もうここにはいられない!」と思った。


部屋から起き出して先生のいる診察室に向かう。鈴木知準は俺の顔を見て対して 驚きもせず言った。
「どうしたね?」
「もう、いてもたってもいられないんです!帰ります!」
「まあ、君みたいなのがここにいるのが一番いいんだよ。まあ、戻って部屋にいなさい」
済ました顔で言う。

俺はもう絶望的だと思った。


頭はパニック状態。気分は最悪。しかしここからは出られない。どうしよう。 部屋に戻って布団に入るが不安がふくれあがってきて、眠れない。 急に不安が高まって心臓がバクバク言い出した!視界が急に狭まったような感じ がして「死の恐怖」を感じた。
「このまま死んでしまう!」そんな観念が頭の中を真っ白にした。
「もうだめだ!!」

不思議なことに俺の口から「南無阿弥陀仏」が唱えられはじめた。


今思うと、ウチはキリスト教だったし、お寺でお経を唱えた経験もないのに何故か口から滑り出した言葉が「南無阿弥陀仏」。
しかし、その時は必死だったので、とにかく他にやりようもなく、不思議とも思わずその言葉を唱え続けたのである。

気がついた時には俺は熟睡していた。


すごく深く気持ちがよい目覚めだった。
不安と心臓と死の恐怖のことはすっかり忘れていた。
部屋を見渡す。形は全く変わってないのだが、なにか感覚が全く違う。言葉では上 手く言えないのだが、全てが輝いて光っている感じといえばよいのか・・・。
診療所で飼っている小鳥が鳴いている。不安でいっぱいになっていたときは、うる さいぐらいにしか思っていなかったのに、今はなんともさわやかで明朗な声に聞こ える。もっと不思議な感覚は、小鳥の声が外から聞こえてくるという感じがせず、 俺の頭ので鳴いているように感じたことだ。今にして思うと、

周りの環境と自分の境が無いような感覚。


この不思議な感覚はしばらく続いたあと自然と無くなっていったが、何故か俺は この診療所が俺にとってとっても大切なところであると確信し始めたのである。

一週間がすぎ、俺は他の院生との協同作業に入っていった。鈴木先生は
「まあ、最初は落ち葉拾いから徐々にやっていきなさい」と言ったきり、さっさと行ってしまった。不思議な体験のおかげか、とても自分の感情が素直になり、鈴木知準を先生と思うようになる。
だが面白いのは、彼が言うに
「僕(鈴木先生)のことに頭に来た!とか、あのバカ野郎!とか思っていっこうにかまいません。ただそう思いながら、ここの生活の規則を守って作業に手をちょろっと出していって下さい。いやになっちゃってもかまいません。いやだと思いながら、よろよろでいいから現在にただ手を出していって下さい」
というのである。
「作業」とは「臥じゅく」の終わった入院生が、院内のそうじや食事をつくる手伝い、院内の植物の世話など、それはとても病人が治療のためにやるような作業ではなく、本気になってそこの生活を自分達で運営していくという活気のあるものである。 そしてこの行動の中に「入ってしまう」ことから「凝り固まって引っかかった心」が徐々に(無意識の内に)動いていく。「こだわり」を落とすのではなく「こだわり」自身が自ら落ちていく。


一カ月僕は、ただ夢中になってに作業した。


そうじ、洗濯、炊事、お茶入れ、院で飼っている犬の散歩などなど・・・。とにかく他の院生と一緒になって必要なことにただただ手を出していったのである。
禅の言葉に「只管打坐」という言葉(ただ、座るの意)があるが、ここではそれを「生活の中の動き」に求めていく。ただ動いていく中には何の「期待」もない。
その「期待なく動いていく」中から本当の命の躍動が始まると禅ではいうのである。
禅で言えば「悟り」。森田療法で言えば「神経症の治癒」。
この目的が落ちていって(しつこいようだが「落とす」のではない)始めて目的が達成されるのである。

「こんなことして、どうなる?」なんてことは思わなかった。


鈴木先生はこう言った。
「嫌な作業はいやなだけ。いやだと思いながら、ちょろっと作業に手を出して いくと嫌なものに反対しない態度が出てくる。対人的に緊張したら緊張するだけ。苦しかったら苦しいだけ。その時、神経症の不安も越えている。安心と較べるのではない。不安が安心に変わるのではなく、不安が不安だけになったときに同時に心は自由になる」

これは僕のような「対人恐怖症」に限らない。鈴木知準診療所では強迫行為(例:清潔にとらわれ手を洗うことがやめられず1日中洗ってる)不安神経症(理由の無い不安に襲われ、身動きできなくなる、長い距離の電車等に乗れない)など様々な神経症を扱う。不安神経症などは最近ニュースなどで報道された「パニック症候群」だと思うが、今の普通の神経科は分析のみで治療は難しいと思われる。医者が神経症を克服したことがないからだ。
鈴木先生は自ら若い頃、神経症になり、森田療法を開発した森田正馬氏のもとで克服し、森田療法の医師を目指したのだ。


不安と一つになっちゃう。


当時16才の俺には頭でそのことはよく分からなかったが、次の先生の言葉だけなよく分かった。
「この不安を越える態度は、いくら本を読んだり議論してもわからない。不安の中に スッと入っていき粘って作業しつづける事の中から、おのずと身体で分かってくる。 自分以外のものになろうとするのではなく、自分自身になっっちゃうこと」

この態度のことを彼は「今に生きる」と表現した。


この言葉は後に僕が横尾忠則氏の言葉に出逢う時にもキーワードになる。
「今を生きるじゃないよ」と鈴木先生は念を押す。
「今に」と「今を」。頭で理解するのではなく、身体が「それ」になった時に、その違いが始めて分かるのかもしれない。とりあえず理屈で言ってみるならば、
「今を生きる」は環境と自分が対面して「二つ」になっている。

「今に生きる」は環境と自分が一つになっている。


一カ月で退院し、そのあとも何年か診療所に週末だけ通いながら、俺は次第に不安と 戦わなくなって来た。そして今では人と会えば勿論緊張はするが、それで困ってしま って生活に支障をきたすということはない。
こうやって昔を思いだし書いてみないと「対人恐怖」のことも忘れている。
森田療法によって確かに俺は変化したのだ。
そして「人間の意識」というものに対する興味が持ち上がってくる。
それが僕が横尾忠則さんに対しての興味となり、その後のニューエイジ的なものへの興味へと繋がっていく。
精神世界への旅の幕開けでもあった・・・。
そして「横尾忠則は嘘つきか?(大学生の頃)」へと続く。
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