
【つれづれ俺なるままに】5(97.7.24)
「優雅な夏休み」
(何もしないことの重要性)
つれづれ俺なるままに。
7月に完成させた「横尾忠則GIGAMIX」(パーフェクTV・MONDO21において放送中)を最後に現在、僕は長期夏休みに入っている。「7月、8月の2カ月はなーんにもしない」と決めているのだ。フリーのテレビディレクターであった僕は、当然その間の収入はゼロ。これからの仕事も決めていない。テレビはやめようかとも考えている。しかし、社会人になってから「丸2カ月なにもしない」という時期は人生でそうそう出来るわけじゃない。収入の不安を引き換えにしてでも自分で選択しなければ出来ないことだとも思う。
最初は自分の自堕落が恐くなった・・・・。
毎日、起きて「今日もなにもしたくないなあ」と思ってはまた寝る。そして夜が来て、また朝が来る。僕が「何もしたくない」ことに誰が迷惑を被るわけでもない。家賃だってしばらくは何も仕事しなくても払えるだけの貯金もある。ところが面白いことに、段々と「罪悪感」というか「こんなんでいいのかなあ?」という気持ちが湧いてくるから不思議だ。周りの住人の人達にも「あそこの人、毎日なにもしてないわよ」なんてささやかれているような気がしたりして・・・・。
つくづく自分は「社会人間」だなあと思った・・・。
この「罪悪感」というのは僕の元来持つ「パーソナルな人格」ではなく、人生31年間に受けてきた両親、学校、社会、メディア等、様々なところから受けてきた影響によるものだと思う。「日本人の集合無意識」というやつだ。自分が何かしらの団体(これは会社であったり、遊び仲間であったり様々である)に所属していないと不安になるのである。自分のアイデンティティが集団によって成り立っている。いわゆる「群れたがる」というもの。人は、相手を確かめるときに「どんな職業なのか?」「どんな趣味のひとなのか?」「どんな友達関係を持ったひとなのか?」を知りたがる。目の前に当人がいるにもかかわらず。名刺なんていうのは、その最もたるものでしょう。
全てが無くなった時に残る自分ってどんなのかなあ?
そんなことを考えることがある。家で寝ていると様々な動物達の声が聞こえてくる。すずめに義務感はあるのか?ないんだろうな。生存本能に従って「瞬間」に生きている動物達。
「動物達は、何もしないことに罪悪感を感じるだろうか?」
そう考えたら、なんだか気が楽になってきた。自分の生存を健康的に自分で維持し、他人に危害を与えないという原則を持てる人は「好きに生きていい」ということらしい。僕は日本国民、藤沢市民であると同時に地球のいる一つの動物でもある。一人で「ただいる」ということが楽しくなってきた。
【今夜のBGM】「SPEECH」speech
僕の大好きなアレステッド・デベロップメントのリーダーSPEECHの初ソロアルバム。
仕事で行ったサハラ砂漠のBGMにメチャはまっていた。都会における原住民的生活とは?
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