

【つれづれ俺なるままに】4(97.7.12)
「もう、やーめた」
(全てを引きずり降ろすかに見える日本社会へ)
つれづれ俺なるままに。
右のビデオパッケージは黒澤さんの「椿三十郎」です。久し振りに見て面白かったのと、ちょっと最近思ったことについて。本来、映画のコーナーで書くのが本筋なのですが、映画の内容よりもっと別なことが書きたくなったので、このコーナーに持って来ました(またこの作品の感想はちゃんとUPするとして)。
今、日本はバランスとして「侍」もしくは「本当の意味での武士道」的なものがあまりにも少ない。
こう言い換えてもいいですね。「良い意味でのプライドや誇りが少なすぎる」。
「武士道」って言ったって、僕は右翼ではないですよ。僕が子供の頃、ウチの両親は共産党の「赤旗」取ってて、僕も少なからず影響受けてます。「反戦」という意味でね。言ってることとかはともかく、たまに見る右翼の宣伝カーに乗ってる若い人で
「良い顔」してる人がいるんですよ。あれ、なんなんだろう?勿論、全員じゃないけど。
僕は黒澤映画に出てくる人達の「顔」が大好きだ。
多分、僕は「自分に真っ直ぐに生きたい」と思ってる人達(重要なのは「生きたい」と思ってることです。そう簡単になれるわけでもないから)が大好きで、その感じを「それらのもの」に見つけるのかも知れない。自己矛盾や情けない部分もたくさん持ってるし、それが全部なくなるわけではないけども、少しでも「自分がましであると思える生き方」(ましな「生活」ではない)を目指している人は、とても良い顔をしているように思える。「状況」ではなく「姿勢」。
僕はもう「もの解りの良い人物」を演じるのは、やめました。
なんか僕は自分でも思うんですけど「守備範囲」が広くて(笑)、大体の人の意見を認めちゃうんですよね。それが「柔軟で心が広い」とまで思っていた(笑)。「物事に絶対はないので、決めつけるのは良くない」というのは今でもそう思いますが、それは「他人に対しての押しつけ」がまずいのであって「自分の意見を殺す」ことではない。元来僕は「自分に自信がなく」「照れ症」なのもので、「真面目なもの」や「立派なもの」に対して斜に構え、ジョークで馬鹿にしたりする傾向があったのです。それが「愛情の裏返し」ならともかく「自分の自信の無さ」を隠す(無意識に)ために、ユーモアと勘違いして他人を馬鹿にすることがギャグになると思っていたのです。自分でも言いつつ僕の周りの人々のそのようなジョークに対して、その場では笑いつつ、
後で、とても自分が「げんなり」しているのが解ったりします。
これは自分のケースで限定して言いますが、はっきり言って「他人をジョークでこきおろしてる」場合、「自分を馬鹿にしてるんです」。僕は最近、自分でこれに気付いたのですけど。「対象にたいしての愛情の裏返し的表現」や(ビートたけしの毒舌の一部にはとってもそれを感じます。本人は否定するだろうけど)、「堅くなりすぎた時の潤滑油、あるいは照れ隠し的表現」(ちょっと古いけど手塚治虫のヒョウタンツギのようなもの)は必要だと思うし、とても人間味溢れて好きですけど。
本当の批判的ジョークとは「相手と対等」に接して初めて出来ること。
「相手の目の前で言えるくらい」とまでは言わないけれど(チャップリンの「独裁者」でのヒトラー批判は命懸けだったでしょう)、大好きな筒井康隆だって、ちゃんと自分の署名としての作品で「責任」とってるし。彼の「大衆蔑視」やブラックユーモアは大好きです。そして、時に「真面目」や「立派さ」というものが、ねじまがって「集団の狂気」になった場合に対抗する意味での「批判的ユーモア」は絶対必要です。で、このジョークは本当は「真面目」だから出てくるものでしょう。ロックやパンクなどのカウンターカルチャーだって初めはそうだったんだと思います。
日本の「スターこきおろし」的現象はいつ始まったんだろう?
「出る杭は打たれる」。ワイドショーに見られる「こきおろし」。政治的事件を扱っていても、半分以上は「マスコミ正義」という名の元の「やっかみ&ストレス解消」。僕はワイドショーのディレクターも1年近くやってて、嫌になってやめたけど、あんたたちは「人の生活に文句言うほど」ちゃんと生きてんのかよ。「悪いものにしか目がいかない」あんたたちの目は「自分自身の悪いもの」を見ないための口実でしかないんじゃないか?(あ、突然、現在もこの手の番組をやってる僕の友人のこと思い出しましたけど、彼が機嫌をそこねるかもしれないという理由でこの文章を書くのをやめたりはしません。だって本当に思ってるんだもん。僕にとって大事なことを、あたりさわりのない事でお茶を濁さなければならない仲間なら本当の友人じゃないですよ。ただの知り合いです、そいうのは。僕は彼の仕事ぶりは知らないし、きちんとした仕事をしてるかもしれない)「神戸の事件」にしたって、あれは僕自身、自分の中にある「狂気」だとしか思えない。「僕も、あのようなことをしてしまうかも知れない」と言って自殺した少年のことを僕は「他人事」には出来ない。あんな哀しい事件ってないよ。でも、自分でマスコミやってて解ったんだけど
「マスコミは大衆の鏡」って当たってますよ。
マスコミに自分の意見なんてないんですよ。何千万もの視聴者とスポンサーのニーズに答えるために「ポリシー」なんて持ってたら出来ないですから。今のテレビが日本の人達のおおまかな総意だとすれば、俺、日本って大嫌いです。かといって「エヴァンゲリオン」に代表されるような(実は「エヴァ」ちゃんと見てないから、その辺は間違ってたら申し訳ないですが)「ひねくれた子供達」も嫌いです。今、子供達が「狂気」に走ってしまうのは必然だと思いますが(僕は社会の隠された狂気を代表して子供たちが表現しているのだと思う)。創った庵野監督(彼は子供じゃないけど)は、それでも頑張ってると思うけど、社会から(もしくは古い世代から)押し込まれた「狂気」をただ社会に投げつけ帰すだけではどうしようもないと思う。
社会が居心地悪いなんていうことは、もう解り切ったことなんだから。
「じゃあ、どんな社会が欲しい(創りたい)のか?」っていう模索が始まって、やっとスタートだと思う。僕が宮崎駿さんが好きなのはそこです。「いじけてたって始まらない」ってことですよ。そんなの社会のせいじゃないですよ。社会のせいにしたら、いつまでたっても社会は変わらない。唯一出来ることは、
自分の生活を自分で変えていくしかないと思う。
論旨がまとまらない割りには「偉そうなこと」言ってますけど、もう「偉そうなこと」でも言うことにしました。言えないのは、それが出来ない自分に直面するのが嫌だったり、恥ずかしかったりするからです。僕はこれで、あとから「あんな偉そうなこと言っておいて、結局大したことないじゃないの」なんて言われても構いません。
「失敗」や「羞恥」を恐れて「何もしない」より、ましな人生を生きれそうですから。誰も「自分以外の人生」に責任持てってくれる人なんていないんだから。批判したり馬鹿にする人には「そんなこと言って、じゃあ、あなたは僕の人生を最後まで素晴らしくしてくれる提案を責任持って出してくれるんですか?」と言いたいね。
出来るわけないじゃない。人を引きずり降ろして自分が安心したい人達ばかりなんだから。僕は密かに「日本人の集合無意識」にある一つの傾向だと思っています。まったくこのニッポンって国(最近までの自分を含めて)はさ。
【今夜のBGM】「BEAUTY」ryuichi sakamoto
他の誰でもない個人として生きてる人は美しい(BEAUTY)。
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